わさびの歴史

わさびが身近な香辛料になった歴史を紹介します。

「わさびの歴史」の作成にあたっては、岐阜大学 応用生物科学部の山根京子先生にご協力および助言を賜りました。

  • ⾶⿃時代
  • 592~710
  • ・⾶⿃時代の苑池遺構から「委佐俾三升(わさびさんしょう)」と書かれた⽊簡が出⼟。わさびは薬草としての位置づけであったと考えられている。
  • ・成年男⼦に課されていた「調」という租税をわさびで納めることができた。
  • 飛鳥京地図
  • 飛鳥京地図(※出典)

  • 平安時代
  • 794~1185
  • ・日本最初の薬草事典「本草和名」にわさびが記載されている。わさびは若狭(福井県西部)、越前(福井県中北部)、丹後(京都府北部)、但馬(兵庫県北部)、因幡(鳥取県東部)などの国々から税として納められていた。
  • ・平安中期頃わさびは香辛料として食用に利用され始める。
  • 本草和名 下冊 本草和名 下冊
  • 本草和名 下冊(※出典)

  • 鎌倉時代
  • 1185~1333
  • ・駿河国の武将であった南条時光が、⽇蓮聖⼈の55歳のお祝いにわさびを贈る。
  • 本草和名 下冊
  • 贈答品のイメージ

  • 室町時代
  • 1336~1573
  • ・南北朝から室町初期には、主に汁の実としてわさびが用いられていた。
  • ・室町時代にわさびを料理で利用することが定着。生魚を食べる際にわさびは酢と合わされていた。また、鳥の薄切りや貝にわさびが用いられていた。
  • 武家調味故實
  • 武家調味故實(※出典)

  • 安⼟桃⼭時代
  • 1573~1603
  • ・天正19年(1591年)利休が開いた茶の湯の席で、おろしたわさびが振る舞われた。
  • ・慶長年間(1596〜1615年)に、安倍川の上流である静岡県の有東木でわさびの栽培が始まったとされる。
  • 本草和名 下冊
  • 茶の湯でわさびが振る舞われた
    右:利休(※出典)

  • 江⼾時代前期
  • 1603~1680
  • ・慶長12年(1607年)7月駿府城に入城した徳川家康にわさびを献上したところ、天下の逸品と褒めたたえ、有東木からの門外不出の御法度品としたといわれている。
  • 本草和名 下冊
  • 徳川家康(※出典)

  • 江⼾時代中期
  • 1681〜1780
  • ・延享元年(1744年)伊豆市天城湯ヶ島の山守であった板垣勘四郎が、しいたけ栽培の指導者として有東木を訪れ、お礼にわさび苗を持ち帰り、天城湯ヶ島に植えて栽培を始めたと伝わる。当時、わさび沢一帯は天城山御料地で、その後、幕府は御料地内でのわさびの栽培を認める。
  • ・江戸中期には定置網漁が発達し、マグロが本格的に漁獲されるようになる。同時期に野田や銚子で醤油産業が発達し、マグロを醤油に漬けて「ヅケ」で食べるようになる。
  • 板垣勘四郎の碑
  • 板垣勘四郎の碑

  • 江⼾時代後期
  • 1781~1868
  • ・天明年間(1781~1789年)伊豆半島の伊東港から江戸に船でわさびが輸送されるようになった。
  • ・伊藤若冲が晩年の1794年-1800年頃に「果蔬涅槃図」にわさびを描いたと考えられている。
  • ・文政年間(1818~1830年)江戸で握り寿司が考案され、たちまち一斉を風靡する。
  • ・江戸・京都・大阪の風俗、事物を説明した一種の百科事典である「守貞謾稿(もりさだまんこう)」に、「刺身およびコハダなどには飯の上、肉の下にはワサビを入れる」と記載される。
  • ・文政元年(1818年)島根県匹見でのわさび栽培が始まったとされる。
  • ・天保3年(1832年)頃、歌川広重の「魚尽錦絵」に甘鯛・メバルと共にわさびが描かれる。
  • 本草和名 下冊
  • 果蔬涅槃図(※出典)
  • 成魚尽錦絵
  • 成魚尽錦絵(※出典)

  • 明治時代
  • 1868~1912
  • ・明治初期に長野県穂高でわさびの栽培が始まったとされる。
  • ・明治22年(1889年)東海道線が全線開通し、静岡から東京へのわさび出荷が容易になる。
  • ・明治25年(1892年)頃に伊豆市中伊豆の生産者により畳石式わさび田が開発される。
  • 長野県のわさび田
  • 長野県のわさび田

  • ⼤正時代
  • 1912~1926
  • ・大正3年(1914年)静岡の茶仲買人であった小長谷与七が製茶の技術からヒントを得て粉わさびの本格的製造に着手する。
  • ・大正9年(1920年)頃から粉わさびの量産が可能になる。
  • ・大正12年(1923年)関東大震災が発生し、被災した料理人が東京を離れ、地方に移り住んだため江戸の食文化が一気に広まったといわれる。
  • 長野県のわさび田
  • 関東大震災(※出典)

  • 昭和時代
  • 1926〜1989
  • ・昭和10年(1935年)築地市場が開設され、鮮魚とともにわさびの需要が拡大する。
  • ・昭和13年(1938年)西洋わさび(ホースラディッシュ)を原料とした粉わさびの製造が始まり、昭和44年(1969年)公正取引委員会は、粉わさびは西洋わさびを原料とした商品であることを規約に定める。
  • ・昭和33年(1958年)狩野川台風により、伊豆のわさび田に甚大な被害が発生する。その後、復旧を契機に「畳石式」による栽培と、新品種「真妻」の導入が進む。
  • ・昭和36年(1961年)静岡県山葵組合連合会が作成した冊子『静岡わさび』に、井上靖の「わさび美し」が掲載される。
  • ・昭和46年(1971年)金印食品が小袋入りの練りわさびを発売する。
  • ・昭和47年(1972年)エスビー食品がチューブ入り練りわさびを発売する。
  • ・昭和40年代後半から海外で栽培した本わさびの輸入が始まる。
  • 真妻わさび
  • 真妻わさび

  • 平成時代
  • 1989〜2019
  • ・平成25年(2013年)「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録される。
  • ・平成30年(2018年)「静岡水わさびの伝統栽培」が世界農業遺産に認定される。
  • 静岡県伊豆のわさび田
  • 静岡県伊豆のわさび田

※出典:国立国会図書館デジタルコレクション